2011.06.06

3月12日大津波の翌日



3月11日の夜は一睡もできずに夜を明かしました。

病院の最上階まで上がって、窓から自宅方向を眺めてみたのですが
状況はわかりませんでした。

私は、家に帰りたいと思い歩いて行こうとしたら、
従兄弟が車で行けるところまで乗せて行くといってくれました。

そこで、車で行ったのですが、
目にする周囲の景色はあまりにも変わり果てたものでした。

途中まで行ったのですが、消防団の方にこれ以上は危険なのでいけないと
止められてしまいました。

また、この日は余震が頻繁に起こっていて、
また津波警報が出されるなどして通行止めされていました。

仕方なく病院の駐車場まで引き返しました。

病院の駐車場には多くの人たちが避難していました。
職場のスタッフの何人かとも会い、スタッフの無事が確認できました。


携帯電話は依然としてつながらず、
妻の安否がわからないままでした。

午後になって会った知り合いが、
三陸鉄道の線路を歩いてここまで来た人がいると教えてくれました。
この線路を歩いていくためには、トンネルをくぐらなければなりません。
来た人は、真っ暗な中をしばらく歩いたといっているようでした。

列車でくぐるときは、わずか数分なのですが
歩いてとなると、結構距離があるのでしょう。


私は、歩いて帰ることにしました。

病院から下っていき大船渡警察署のところまで行ったときに、
私の地域のひと数人と出会いました。

やはり線路づたいにトンネルを潜り抜けて来たのだそうです。
私と会ったときは、戻るところで警察署前で誰かと待ち合わせていたのです。

私は、彼らと一緒に帰ろうとそこで立ち止まっていました。

彼らから地域の被災状況を聞いたのですが、
私にはピンと来ず想像ができませんでした。


さて出発しようと歩き出してまもなくのことでした。


こちらに向かってくる妻の姿が見えてきたのです。


妻は、儀姉と親戚の小父さん、その息子の4人で
暗いトンネルを潜り抜けて私を探しに来たのでした。


妻は、私のことが心配で一人で探しに来ようと、
はじめは自転車で途中まで来たのだそうです。
しかし、途中から前に進めず戻ったところ、
儀姉や親戚の小父さんや息子が一緒に探しに来てくれたのだそうです。

途中まで車で来て、後は線路づたいに歩いてきたところ
私とちょうどよく会えたのです。


私たちは、互いの無事を知り抱き合いました。
妻は泣いていました。

そして、我が家は無事だったと知りました。



今晩はここまでとします。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
生かされていることに感謝します。
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この記事へのコメント
夫婦の絆が一層深まったでしょうね
お互いの無事を確認して恐怖とホットした涙だったでしょうね
お二人はもちろんの事で家も無事で良かったですね
Posted by shinwa嫁 at 2011.06.07 00:25
奥様と再会出来たときのお喜びはひとしおだったことでしょう。
また奥様も同様に。

ご自宅も被害は全くなかったのですか?
本当に良かったです。

今後も原発問題などもありますし、引き続きご用心なさって
ください。
Posted by mimi at 2011.06.07 00:44
お久しぶりです、つぶやきさん。

よかった!本当によかったです!!
るるさんのブログへのコメントで安否の確認が出来てほっとしていたのですが、こうしてご自身の言葉で語られるところを拝見することが出来ると、本当にご無事で何よりです。

しかし、忘れてはならないのは今回の地震で多くの犠牲が出たこと。
犠牲者、被災者の方々へ心より謹んでお見舞いを申し上げます。

地震という天災だけではなく、東京電力や政府の危機管理能力の欠如という人災で、被害は甚大なものとなりました。
私が住む新潟には日本屈指の大規模原子力発電所「刈羽原発」があります。古い上に大型です。
「福島の原発が止まっているから、刈羽の(新潟での地震以降停止している)原発を動かそう!」なんて東京電力が騒いでいるようです。
何も学習していないじゃないか!

すみません、コメントに書くことではありませんね。

とにもかくにも、つぶやきさんも奥様もご無事で、本当に本当に何よりです!
良かった...。
真好了!
Posted by mai at 2011.06.07 04:14
そんなに長い間家族と連絡が取れないことが、どれだけ不安で恐ろしいことか想像もできません。地震直後は毎日のようにニュースやいろいろなサイトでの情報、ブログなどを読んで泣いていましたが、この記事を読んでまた涙が出てきました。つぶやきさんとご家族が皆さん無事で本当に良かった。
Posted by Kimmy at 2011.06.07 15:18
泣いてつぶやきさんの記事を読みました。
Posted by 吉 at 2011.06.07 17:57
shinwa嫁さん、
そうですね、妻とは二度とない経験を共有しましたから。

それでもその後に喧嘩したりしました。
ただ、中国に帰ってしまい、またひとり生活に戻りました。
淋しいです。
Posted by つぶやき at 2011.06.07 23:24
mimiさんへ

津波による直接的な被害はありませんでした。
ただ、この大震災でしばらく停電が続いたことによる被害はありました。

それは、寒さによって水道管の一部が損傷してしまったことです。

このことに気がついたのは、水道が使えるようになってからでした。
水漏れがしたからです。

周囲では水道が使えるようになってからも我が家だけはしばらく使えませんでした。
部品がなかなか手に入らなかったために修理ができなかったのです。

水が使えないというのは、とても不便でした。
いまは使えるようになりました。
とてもありがたいことです。
Posted by つぶやき at 2011.06.07 23:34
maiさんへ

福島の原発は本当にひどいですね。
早くから原発の危険性を訴えてきた人たちがいたのに、マスコミに取り上げられることはなく放置されてきました。

想定できない震災だったといっていることに、私は・・・。

放射能による汚染がどこまで拡大しているのでしょう。
東電や政府のいっている事が信頼できないのは、悲しいことです。

原発で避難せざるを得なかった多くの方々を思うと心が痛みます。
戻れる日は一体いつなのでしょう。

Posted by つぶやき at 2011.06.07 23:44
kimmyさんへ

いつもなら車で10分とかからない距離なのに、
津波によって連絡さえ取れなくなってしまいました。
私も、そして妻も互いの安否を気遣って夜を過ごし、
翌日には互いに相手を求めて歩き出していました。

もしも、私がそのまま病院の駐車場にいたとしたら
妻と会えたでしょうか。
駐車場には大勢の人たちが避難していました。
そこで互いを見つけ出すことは容易なことではないと思います。
また、病院に来る前の市民文化会館も避難場所になっていたので、
そこで私を訪ねていたら会えなかったでしょう。

こうしてみると、警察署のところで会えたというのは、
単なる偶然ではなく、奇跡に近いものがあるといえるのではないでしょうか。
Posted by つぶやき at 2011.06.07 23:57
吉さんへ

吉さん、私は思うのです、私たちはなぜ助かったのだろうかって。

私は、あの地震のあと職場に留まろうと思っていのです。
津波は来ないだろう、きても2階に上がれば大丈夫だろうとたかをくくっていたんです。

その私が、高台に行こうと思い歩き出したのはなぜなんだろう。

妻も、いつもなら高田の友達と会うときは高田まで行くのに、
あの日はどうして友達から来てくれたのだろうか。

考えてもせん無いことだとは思うのですが、
でも、考えてしまうのです。
Posted by つぶやき at 2011.06.08 00:05
我が家でも当日は停電と断水がありました。
どちらも困りましたが、水道のほうはトイレが
使えないのが一番困りました。
つぶやきさんのお宅ではトイレはどうされていましたか?
Posted by mimi at 2011.06.08 11:06
mimiさん、

私の家のトイレは汲み取り式なのです。
なので、トイレでは困ることはありませんでした。

近所では多くの家が水洗トイレになっていました。
なので、トイレは困ったようです。

私のところが汲み取り式なのは、
水洗トイレにする経済的余裕がないからです。
このことが、今回は幸いしました。
Posted by つぶやき at 2011.06.08 20:46
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