6月21日(火)
津波直後停電、水道は止まる、固定電話も携帯電話もつながらない状態。
私たちにとっての、どこでどれだけの被災状況なのかの情報源はラジオだけでした。
家では普段使っていない電池式のラジオを妻が見つけてきて、
それから情報を得ていました。
津波があったとき、妻が無事かどうかを知りたくて携帯電話をかけようとしても
まったくつながりませんでした。
携帯電話としての役割をもっとも果たして欲しいときに、
使えないことにとてもいらだちました。
連絡さえつければ無事であることがわかるのに、
連絡がつかないために不安や心配がとても大きくなりました。
電気がないため、夜は暗闇です。
誕生ケーキについてくるわずかなローソクで
細々としたあかりのなかで食事を取ったものです。
私のところでは、災害時の備えをまったくしていませんでした。
電灯はあっても電池がなくて使えなかったり、
ローソクもありませんでした。
夜は、早めに寝るようにしていました。
余震が頻繁に遭ったため、いつでも起きだせるように服は着たままで寝ていました。
私はベッドに寝ていたのですが、
妻は怖がって茶の間に床を敷いて別々に寝ていました。
しかし、そのうち私も茶の間に一緒に寝るようにしました。
(一緒に寝るようにして3日目の夜、妻は中国へと旅たってしまいました)
水は、車で数分のところにある沢水を汲んできて使っていました。
食べた後の食器を洗うときに、
限られた水を無駄にしないようにと神経を使いました。
洗濯は、沢水の近くの小川でしていました。
いま思うと、よく過ごしたなと思います。
それもこれも妻と一緒だったから過ごせたんだと思います。
妻が帰って一人になってからは、
とても心細く、淋しかったです。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなた様が幸せでありますように。

タグ:津波
現在、奥様が中国を離れられない理由について、
今後の参考までにお教え願えますでしょうか?
ご家族のどなたかがご病気とかですか?
それ以外に国際結婚において離れて暮らさねばならない
事情というのが解らないもので。
もし、差し支えなければお願いします。
また、過去に書いておられたら申し訳ありませんです。
妻が帰れないというのは、
まったく個人的な事情によるものです。
国際結婚とは関係ありません。
なので、大変申し訳ありませんが
その事情についてはお話できません。
お許しください。
オトナの事情ということで(笑)
うちの彼もまだ一緒に暮らす前でしたけど、
仕事の都合で半年くらいインドへ行って
いました。
ご理解いただいてありがとうございます。
今の私と同様です。結婚丸5年がたち、永住は1年位前に取りました。原発後の3月に帰国し、後10日で4ヶ月です。一昨日のメールで、『戻ったら離婚し、中国の父母と暮らしたい」と言ってきました。戻るのを楽しみに待っていたのですが、この5年間を走馬灯のように思い出し胸が一杯です。