2011.01.20

偶然ではなく必然、中国人女性との再婚 



私の妻は、中国人です。


人との出会いって、不思議だなって思うんです。


どうして、私は中国人の女性と再婚したんだろう。


はじめの結婚は、同じ街に住む日本人女性でした。
しかも、お見合いで会って見れば
高校の1年後輩でした。

高校のとき、話をしたことは一度もありませんでしたが、
なぜか知っていました。


しかし、この結婚は、
10年で破綻しました。


そして、14年間一人暮らしをしました。


妻と再婚に至る経緯については、カテゴリ「国際結婚に至る経緯」
ところで書いております。


今回書きたいと思うことは、
私の14年間のひとり生活の中に
中国人女性である妻との結婚に向けて
準備がされていたように思えるのです。



なぜそう思うかというと、
紹介された女性が、中国人であるということに
何等抵抗感がなかったからです。


どして抵抗感がなかったのでしょう。


それは、


私が、ひとり生活をするようになった頃から、
市内で中国人研修生を受け入れる水産加工の会社が出始めてきました。

街で中国人研修生の女性たちを見かけるようになってきました。


そうしたなかで、中国人研修生を受け入れているある会社の事務方の人と
友達になりました。


そして、あるときその方が、
研修生たちとカラオケに一緒に行こうと誘ってくれたのです。



7〜8人の研修生がいたと思います。
私は、彼女たちに母国の歌を聞かせてくれませんかとお願いをしました。

彼女たちは、快く承諾してくれて
一人一人歌ってくれたのです。


私は、中国語がわかりませんから
彼女たちの歌の意味などわかるはずもありません。

しかし、なぜか心にしみてくるものがありました。

胸が、ジーンとなりました。


意味がわからないのに、ですよ。


不思議ですよね。


私は、研修生に親近感を持感じました。


こうしたことが、中国人女性に対する抵抗感を無くしていったと思うのです。



それと、ちょっと話は変わるのですが、
いまにして思えば、わたしのなかで国際結婚に対する憧れがあったのです。
その思いは、それほど強いものではありませんでした。

が、確かにあったのです、「国際結婚できたらいいな」って思いが。




だから、いま中国人女性を妻にしているのは、
偶然ではなく、必然のように思えるのです。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなた様が幸せでありますように。
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2008.03.23

キューピットになるのも大変



「日本語に悪戦苦闘」の記事のところで、
少しふれたのですが、
私たちの縁を取り持ってくれた友人Aさん夫婦の
存在の大きさについて、
お話をします。


私たち夫婦の交際は、文通によるものでした。

私は、中国語は全くできません。
妻の方は、仕事を終えてから日本語学校に通い始めていました。

しかし、文通をはじめた頃は
全くの中国語による手紙だったのです。


はじめの頃は、妻の手紙はAさんのところに送られていました。
そこで、Aさんの奥さんが、
中国語から日本語に訳して妻からの手紙と一緒に
私のところに送っていただきました。


私からの手紙は、同様にAさん経由で
妻に届けられていました。


Aさんの奥さんは、
言葉の違う私たちの間をつないでくれていたのです。


何度目かの手紙から、
妻から直接届くようになったのです。
日本語で書かれてあったからです。


初めての日本語による手紙を受け取ったときは
感動しました。
便箋1枚だけの短いものでしたが、
一生懸命書いてくれたのが伝わってきたからです。


また、私は、この間何度かAさんのところへ
遊びに行きながら、手紙だけではわからない
妻の現況などを聞かせていただいていました。



こうして文通だけのやり取りだけで
結婚を決意したのです。


Aさんには、結婚に至るまで
大変お世話になったのです。



次回は、結婚生活が始まってから
Aさん夫婦に助けていただいたことを
お話したいと思います。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなた様が幸せでありますように。
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2008.03.19

中国人から妻を紹介される



さて、十数年間1人生活を楽しんできたのですが、
ある晩の夜中に、急に腹痛に襲われたことで
このまま1人でいいのだろうかと
考えるようになったのです。


そんなときに、
仕事を通してできた友人から、
電話がかかってきたのです。

「いま、家に○○が奥さんと来ているから、来て欲しい」
というものでした。

○○とは、友人の友達で
私もよく知っている人でした。
仮にAさんとしましょう。


Aさんの奥さんは、中国人なのです。
私は、このときまで奥さんとは
会ったことがありませんでした。


そこで、友人宅に行きました。
そして、はじめてAさんの奥さんに会いました。

Aさんの奥さんは、とても笑顔の素敵な方で、
日本語を上手に話す方でした。


Aさんは、いいました。
「私の奥さんが、あなたに紹介したい女性がいるんだって。
自分の友達で、日本人との結婚を希望している人なんだそうだ。
俺の知り合いに誰かいないかって聞かれて、
あなたがいいと思ったのさ」と。



私は、全く予想もしていなかった話なので
即答は避けました。

でも、私のなかで、
中国人女性ということについては
全く抵抗はありませんでした。

それは、おそらく地元の水産加工の会社にきている
中国人研修生との交流があったことと、
Aさんの奥さんが、
大変好感の持てる女性だったことによるものかと思います。



私としては、このまま1人でいいのだろうかという
不安を持ち始めていた頃でもあったので、
相手の女性がどんな方かわからないけれども
結婚を前提とした交際を始めることにしたのです。


これが、妻と結婚することになった
経緯なのです。



交際を始めた頃のことについては、
このブログの最初の記事「縁の不思議」のところで
若干ふれています。













2008.03.18

失敗した結婚のトラウマ



〈中国人女性となぜ結婚?〉の続きです。


親からは、子供がかわいそうだから
よりを戻して、復縁したらどうかとまでいわれました。


別れた妻自身、それを望んでいました。


私は、復縁したら
前よりいっそう苦しくなるだろうと思っていましたので
とてもそれを受け入れることはできませんでした。


それに、離婚するときに、
大変な労力を費やしたのです。


このときに、結婚するよりも
別れるときの方が、大変なエネルギーを要すると
実感したほどです。


家庭裁判所に離婚の調停を申し立てたのですが、
調停では合意に至らず、
双方弁護士を立てて、地裁に協議の場を移して
裁判所に何度か足を運んで、
ようやく離婚に至ったのです。


弁護士費用と裁判費用、それに慰謝料、養育費と
金銭的にも、大きな代償を払いました。

慰謝料ということでは、どうして私が払わなければならないのか
納得がいきませんでした。

しかし、妻と子供の今後の生活を考えて
承諾しました。



離婚が成立するまで、別居生活が始まってから1年を要したのです。
離婚が成立したときに、とても開放された気分でした。


そうした経過もあるので、
復縁は、問題外でした。


友達もでき、新しい世界も開け
本当に充実した1人生活を送っていました。



離婚してから12年くらい経ったある夜に
私の体に異変が起きたのです。

深夜の12時近くでした。
急におなかが痛み出したのです。
かつて尿路結石を患ったときの痛みに似ていました。

救急車を呼ぼうかと思ったほどだったのですが、
しばらくして、痛みは治まりました。


それから痛みは起きませんでした。

(この痛みが、後に再婚してから
胆石の摘出手術となるのですが、
このときは、胆石とは全く思ってもみませんでした)



しかし、このことがあって
1人生活をこのまま続けていていいのだろうかと
いう不安をかかえるようになりました。









2008.03.17

中国人女性となぜ結婚?



私の再婚に至る経緯について
お話します。


私は、26歳の時に
最初の結婚をしました。

この結婚は、まる10年で
ピリオドをうちました。

私にとって、この結婚は
非常に精神的に苦しいものでした。
具体的なことについては、
あとの機会にします。

子供が1人いて、3人家族だったのですが
子供は、妻のもとにやりました。


10年間の結婚生活ののち
1人生活が始まりました。

苦しい結婚生活ではありましたが
1人の生活になったはじめの頃は、
とても淋しかったです。

当然のことですが、
家事や掃除、洗濯など、身のまわりのことは
すべて自分でしなくてはなりませんでした。

こうした生活になじむのに
1年くらいかかりました。

そして、1人の生活に慣れてくると
それはそれで快適なものになってきたのです。

自由、そう自由になったという爽快感がわいて来ました。



1人になってから
仕事を通して知り合ったお客さんと
友達になりました。

この友達が、
後に私の再婚に大きく関わることになったのです。

この友達を通して、
私は、スナックに行くことを知ったのです。


私は、アルコール類が全くだめでした。

職場の飲み会などのときは、
もっぱら足となって、みんなを家まで送り届けることを
していました。
なので、スナックに行くことは
よくありました。

しかし、行ってもそこで楽しむということが
できなかったのです。


ところが、友達に連れて行かれたときに、
楽しいと思えたのです。
アルコール類は依然としてだめでしたが、
飲めなくとも、
楽しめることを知ったのです。

そして、
明け方までスナックにいて
さらに、ママさんや友達が私の家で
ゴロ寝をしたりしました。

私が、37、8歳の頃のことです。
私にとって、とても新鮮で
新しい世界が開けたようでした。



両親や親戚などから
再婚話をされることがありました。

しかし、
1人生活を楽しむようになっていたこともありますが、
再婚することにたして、また以前のような結婚生活に
なるのではないかという恐れを取り払えなかったのです。
それで、断っていました。

今回は、ここまでとします。









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