2009.07.10

妻への愛しさが込み上げました



ここ数日の記事は、妻と初めて会ってから
互いの心がどのようにして近づいていったのかという点に
焦点をあてて書いています。



最近、妻とそのときのことを話し合うことがあります。


それによって、互いに知らなかった真実が明らかになったこともあります。



さて、中国に渡って二日目の夜、
わたしは妻に語りかけました。

語りかけたといっても、中国語ではなく
漢字による筆談です。

結構通じました。


わたしは、このときのためにノートを持っていきました。


どんなことを語り合ったのか
いまはほとんど記憶していません。


わたしは、なんとか気持ちを通わせたくて
必死でした。



会った最初の時は、写真とあまりの違いに
とても戸惑ってしまい、妻の顔をよく見ていませんでした。

それが不思議なものですね、
この頃になると、可愛い人と思えてきたのです。



その日以降、妻の優しさを感じさせてくれることが
たくさんありました。


食事に行ったとき魚料理が出たのですが、
わたしが食べやすいように皿に取ってくれたりしました。


また、結婚写真を撮りに写真館まで行くとき、
道路は車が激しくて横断することがとても怖かったのです。
そんなときに、妻がわたしの手を引いて一緒に歩いてくれました。



また、何日目の夜だったでしょうか、
わたしのズボンが汚れたので、それを洗うために
洗濯石鹸を買ってきてくれて、手洗いしてくれたのです。

それから、わたしの衣類のほころびも
つくろってくれたりもしました。



デパートで食事をしたときに、
わたしがお腹の少子を悪くし、
トイレに駆け込んでしばらく出てこなかったときに、
トイレの外でとても心配して待っていてくれました。

あまり心配だったので、トイレ(男子)に入っていこうかと思ったと
言っていました。


ホテルの水道の水は飲めませんでした。
なので水はペットボトルを買わないといけませんでした。

わたしは、自分の分は飲み干してしまいました。
それでものどの渇きがおさまりませんでした。

妻の方がまだ残っていました。

すると妻が、「わたしはもういいからあなたが飲んで」
と言っているかのように、わたしにボトルをよこしてくれました。

わたしは、それを飲みました。



後で友達の奥さんから聞かされました。

「あの時、水が欲しそうだったから
わたしのをあげたの。
でも、本当はわたしも欲しかったの」
って言っていたのよと。



そうしたことがあって、わたしは
愛しさが込み上げていました。






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2009.07.09

結婚して5年目に明らかになった真実



中国で妻に初めて会ったときのことを書いて
三日目になります。


ハルピンから瀋陽に行く車中でのことが
互いの心を近づけることになったことまで書きました。




実は、つい最近になってわかった真実がありました。



それは、妻が瀋陽へは行きたくなかったということです。

ところが、妻は、紹介者である友達の奥さんから、
「わたしが一緒に行って欲しいと言っている。
行かないのは失礼なことだ」
と言われたそうなのです。


妻から「あなたはそう言ったんですか」と
聞かれました。


わたしには、まったく初めて耳にすることでした。


わたし:「それじゃ、友達の奥さんが嘘を言ったのか」

妻:「だまされた」


このような真実があったとは知りませんでした。


でも、そのおかげでわたしたちの心が繋がったのですから
不思議です。






中国の帰りの飛行機のなかで
友達の奥さんがいいました。

「二人に結婚したくないといわれたらどうしようかと思った」と。


わたしたちの結婚について、
5年経ってわかる真実があるとは、
想像もしていませんでした。



次回は、ハルピンに戻ってからのことを
書きます。





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タグ:真実
2009.07.08

はじめて会った妻に、この人を好きになれるだろうかと不安になった



昨日の続きです。


まず、わたしが妻に会うために中国へ渡ったときの
気持ちについて、振り返ってみたいと思います。


わたしにとって、中国へ行くということは
結婚することを前提としていました。


手紙のやり取りと、何度か電話で話をしただけで
結婚を考えていました。


ですので、中国に行く前に
結婚に必要な書類を取りました。


日本を発つときは、これから会う女性は思い描いている通りの
人なのだろうかと不安と期待とが入り混じっていました。


そして、空港で会ったときにはその人とも知らず、
一体いつになったら会わせてくれるのだろと思っていました。


一緒にいる女性が、その人だとだいぶ時間が経ってから
知らされました。

写真とあまりに違ったので
戸惑いました。


わたしは、この人と結婚?
俺、この女性を好きになれるんだろうかと思いながら、
瀋陽までの車中を後部座席に一緒に座ったのです。



そして、途中から妻の手を握ったところから
互いのなかに和やかな想いが生まれ始めたのです。



わたしは、眠くなってうとうとし出したら、
妻が、肩に頭を乗せてという仕草をしたのです。
それで、わたしは妻の肩に寄り添うようにして眠ったのです。

そのうちに膝枕を借りていました。

わたしが目を覚ましてから、日差しが妻に当たって
妻がまぶしそうにしていました。
それで、わたしが上着で日差しを遮るようにしました。

そのことが、妻にとっては
「この人いい人みたい」と思うきっかけになったと
あとで聞きました。



わたしたちにとって、この車中でのことがなければ
いまのわたしたちが無かったのかもしれないのです。


それほど、この車中で手を握るという行為が
大きな意味を持ったのです。




今日は、ここまでとします。

(昨日から話が、進んでいないかもしれませんね)





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2009.07.07

妻の手を握ってから空気が変わり始めた



このブログを始めた頃、
妻との出会いから結婚までのことを
書きました。


今回、あることをきっかけに
再度妻との出会った頃のことを綴ってみたいと思います。



友達夫婦を介して妻との交際が始まりました。

互いの写真のみで文通交際からのスタートでした。


手紙は、友達の奥さんを経由し
それぞれ日本語に、中国語に訳されて往ったり来たりしていました。

そのうち、妻が日本語で書いて手紙が
直接届くようになりました。


そして、中国に渡ることになりました。

紹介してくれた友達の奥さんが同行してくれました。


ハルピンの空港で、初めて妻に会ったのです。

ところが、わたしには妻と一緒にいながら
写真の女性にいつ会わせてくれるのだろうと思っていました。


空港を出てからかなりの時間が経ってから、
一緒にいる女性が妻であることを知らされたのです。

写真と実物は、かなり違っていたのです。



わたしは、どこか肩透かしを食わされた感じでした。



妻は妻で、空港でわたしを待つ間
ゲートから出て来る日本人が白髪頭の年いっぱいの人ばかりで、
こんな人が自分の相手かもしれないと思うと、
その場から逃げ出したくなったそうです。


そして、ハルピンから瀋陽まで
タクシーを走らせました。



わたしと妻は、
後部座席に座りました。


しかし、走り出してからかなりの時間
わたしたちは無言でした。


どこか気まずい雰囲気でした。


しばらくして、わたしは思い切って妻の手を
握ったのです。
そうしたら、妻は優しく握り返してくれたのです。



ここから、空気が変わり始めました。



この続きは、またの機会にします。





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2008.03.04

これがラーメン!?



これまで、結婚のために中国に
渡った7日間の出来事を
綴ってきました。

このなかで、
まだ語り尽くせないことがあります。

その中から、食べ物について
少しお話します。


これまで何度か、私の常識ではわからないことがあると
話してきました。

食事についても、普段目にし、口にしている中華料理の
イメージで、食事処に行きました。

中華料理といえば、
酢豚、八宝菜、チンジャオロース、エビチリ、マーボー豆腐
などなど。


出された料理が、どんなものだったか記憶にないのです。

はっきり記憶していることは、

私が連れて行かれたところには、酢豚、八宝菜等々は
一品も出てこなかったということです。

しかも、味や香り(?)も、私にはなじめませんでした。
どこの食事処に行っても、
同じ香りがしました。


この香りが、何なのかはわかりませんでした。


それから、お粥をメインにしているところもありました。
お粥は、確か5種類くらいあったと思います。

粥の中に入っている具が、それぞれ違っていました。


私にとって、美味しいといえるものが、
なかったのです。

そこで、私はラーメンが食べたいけど
中国にもラーメンはあるの?
と聞いたのです。

すると、妻の友達は、
「あるよ」といって、連れて行ってくれたのです。

店のところにきたら、「アメリカラーメン」と
なっていたんです。

「えっ、アメリカラーメン?」、
「ええ、そうよ」
といってお店に入りました。

「どうも、ラーメン屋の雰囲気じゃないな」と
内心思いました。


さあ、出てきたラーメン。

「えっ!! これ、ラーメンなの?」
「そうだよ」

どこにスープが入っているんだろう。
しかも、この麺はなぁに?

食べてみて、「わっ」
私は、食べれない。

店内のお客様は、
満足そうに食べていました。

ラーメンも、私が知っているものでは
ありませんでした。


アイスは、美味しかったです。
これは、日本と変わリませんでした。


私にとって、ハルピンに来てからの食事は
ストレスのもとになりました。


それから、街を歩いていて思ったのですが、
年配の方をほとんど見かけなかったです。

これも、不思議に思いました。

さらに、太っている女性も見なかったので。
みんな、ほっそりしていました。

一体なぜ?


カルチャーショックの連続でしたね。


そんな7日間でした。




2008.03.03

妻との別れのとき



私が、明後日は日本に帰るという晩、
妻は、泣き出しました。


私は、妻がとても愛しくて
たまりませんでした。


ハルピンの空港に降り立って、
妻となる人に初めて出会ってから
5日たっていました。

このたった5日間で、
私たちの心は、互いを必要とするように
なっていたのです。

写真を交換することから
始まった私たち。


不思議だと思います。


親父の若かった頃には、
結婚当日になって、初めて相手を見る、
そんな結婚があったと聞きました。

結婚するまで相手を見たことがないなんて、
私は、なかば信じられませんでした。


しかし、自分自身が
ほとんどそれに近い状況で結婚することになるとは
夢にも思っていませんでした。


私は、妻を残して日本に帰ることが
とても辛くなりました。


しかし、帰る日が来てしまいました。

早朝にホテルを出て
まっすぐ空港に向かいました。

搭乗手続きを済ませて、
いよいよ別れのときがきました。


私たちは、あたりもはばからずに
抱き合い、そして、
涙しました。


妻をいつ日本に迎えることができるのか
わかりませんでした。


一日も早く
一緒に暮らせる日の来ることを願いながら
私は、帰りの飛行機に乗込みました。


妻を日本に迎えるまでのことについては、
次回とします。





2008.03.02

異国の街を散策



さて、披露宴を終えてから
妻とその友人の3人で、ハルピンの街を散策しました。

妻は、披露宴で着用したチャイナドレスをそのまま着て
歩きました。


私には、どこをどう歩いたのかわかりません。


周囲に洋風の建物が目立つところ、
聖ソフィア教堂という、これは教会かな(?)とわかる
大きな建物などがありました。

どのくらい歩いたのでしょうか、
途中から、妻の友人と、そのお母さん、お兄さんの
3人と合流しました。

そして、大きな川が見えてきました。
松花江という川だそうです。

私たちは、この川沿いの並木道の中を進んでいきました。

途中で、男女の若いカップルが
大きな声で喧嘩をしていました。
そのうち、女の子が何かを言いながら
男性から離れて行きました。

すると、男性は女の子を追いかけて行き
そこで何かを話していました。
ほどなくして、それから二人は
腕を組んで笑いながら、歩きはじめたのです。

いまのは、一体なんだったのだろうと
と思いました。

実にたくさんの人が散策していました。


私たちは、この川を船で対岸に渡りました。

対岸には太陽島公園という、大変大きな公園が
ありました。

この公園には、人工的に造られた荷花湖という湖がありました。
また、日本式の庭園や日中友好の記念碑、
ハルピンと新潟の友好を記念するところもありました。

着物を着たマネキンが、
何体か立ててありました。

なんの工事でしょうか、工事をしていました。
工事は、スコップやつるはしなどを使ってのもので、
いわゆる「重機」といわれるものは見えませんでした。


実に広い公園でした。

来た道を、
また歩いてホテルに帰りました。



2008.03.01

結婚披露宴



今日は、私たちの披露宴いついて
お話します。

その前に私たちの結婚は、
友人の紹介によるものであることを
はじめにお話をいたしました。

よく、中国人との結婚を仲介する業者を
利用される方がいると聞きます。

そうした場合、かなりのお金がいるとも
聞いております。

私は、友人の奥さんに
お金は、これだけしか準備できないと
話しました。

それで、友人の奥さんは、
その額の中で、中国までの渡航費用から披露宴の費用などの
一切をコーディネートしてくれたのです。


そこで披露宴ですが、
会場は、宿泊先のホテルの小さなホールで行われました。
出席者は、妻の両親、姉、弟、娘、叔父、叔母、姪、友人
など、十数人のこじんまりとしたもでした。

大きな円卓のテーブルに、
次々と料理が運ばれてきました。
飲み物は、ビールをはじめとしたアルコール類とジュース。
私は、アルコールがだめなので、
ジュースを注いでいただきました。

乾杯は、妻のお父さんがしました。

和やかに時が過ぎていきました。
語り合うといった感じで、歌ったり、踊ったりといったことは
ありませんでした。


私は、妻のご両親やご兄弟に
初めてお会いしました。


娘を異国の地に嫁がせる父親の思いは
どんなものだったのでしょう。

娘の夫たる男が、
どんな人間なのだろうかと思って
私を見ていたのでは、ないでしょうか。


妻は、チャイナドレスを着て
この宴にでました。

妻の友人が話すところでは、
これが、結婚衣裳なのだそうです。

披露宴がひけた後で、
街に出たのですが、友人によれば、
チャイナドレスを着て歩いているのを目にした人は
「彼女は結婚したのだ」とわかるのだそうです。


披露宴には、妻の一人娘が来ていました。
娘は、このとき11歳でした。
娘とは、会話することがなかったです。

無事に披露宴は終わりました。

ご両親や娘をはじめ、列席者はすぐに帰ってゆきました。









2008.02.28

結婚記念アルバム



今日は、結婚の記念写真にまつわることについて
お話します。

ハルピンに来て3日目に
写真館に行きました。

妻と妻の友人、それにタクシー運転手の
4人で行ったのです。


私には、行き先が知らされていませんでした。

どこへ、何をしに行くのかもわからないままに
妻に手を引かれながらついて行きました。

写真館は、ホテルから歩いて30分くらいの
ところでした。

ところが外からは、
写真館とはわからなかったのです。

中に入ると、そこは一見、美容室かと思いました。
大きな鏡と、その前に美容室にあるような椅子。

部屋の左側に、様々なドレスと
新郎が結婚披露宴で着るような
白のタキシードが何着かありました。


妻のメイクが始まりました。

この時点で、
私は、まだ写真を撮るのだということがわからなかったのです。
披露宴に備えて髪をセットしているのだろうと思っていたのです。

妻は、メイクが終わると、
今度は衣装合わせにをし、その間に
私のメイクが始まりました。

メイクなど、初めてのことなので
とても恥ずかしかったです。

この頃になって、ようやく写真を撮ることを
妻の友人が教えてくれました。

ここのスタッフは、
二十歳になったかどうかと思われる若い女性が3人と
男性が1人でした。

そして、私はタキシードを着ることになりました。
ところが、小柄な私に合うサイズのものがなく
だぶだぶのものを着て撮影。

スタジオに入ったら、24、5歳くらいでしょうか、
この写真館の主とおぼしき男性が、
先ほどのスタッフにいろいろ指示を出していました。

女性スタッフが、「はい、こちらを見て」とでも
いっているかのように指で、私たちに合図をすると
パッとフラッシュがたかれる。

妻の方が、何度か衣装替えをして
写真撮影。

2時間から3時間くらいかかったでしょうか、
ようやく終わって、
私と妻は、そこを出ました。

友人と友人の知り合いのタクシー運転手は、
すでにそこにはいませんでした。

この日は、6月はじめだというのに
とても暑かったのです。


妻は、飲み物とアイスを買ってくれました。

このとき、私は驚いたのです。
このお店が、中に入るまで
お店とは思いませんでした。

外からは、店だとわかるものがなかったのです。
しかし、妻にはわかったのです。

写真館もそうでしたが、
私の常識では、わからないことがたくさんあったのです。


写真は、それから二日後にできました。
とても立派なアルバムになっていました。

私の一度目の結婚記念写真は、
新郎、新婦揃ってのものと、新婦だけのもの、
それに家族全員入っての写真といったものだったのですが、
この記念写真は、アルバムといったほうがいいくらい
素敵なものでした。


ただ、私自身は、ずいぶん違う感じになっていました。
後で、身内にこのアルバムを見せたときに、
私の方が、中国人で、妻のほうが日本人のようだと
いわれたものです。










2008.02.27

妻が見せた優しさ



さて、今日は、
妻のやさしさを垣間見た点について、
お話をします。


ハルピンの遊園地に行ったときです。
入場口で、入場券を買おうとしていたときに、
ボロボロの服に、ぼうぼうの髪をした女性が、
私たちの方に近づいてきました。

そして、物乞いをしてきたのです。
妻は、すぐに幾ばくかの紙幣を
その女性に渡しました。

すると、女性は頭を下げ、すぐ立ち去りました。

このときの妻の行為に、
私は好感を持ったのです。


それから、妻の友達が
ホテルで、従業員を呼ぶときに
「フーヤン」(私にはそのように聞こえました)と、
何か呼びつけるように呼んでしました。

それを聞いていて、
私は、まるで召使でも呼んでいるような、
あるいは、目下のものを呼びつけるような感じがして、
あまり気持ちのよいものではありませんでした。

フーヤンと呼ばれてくる人は、とても幼い感じがしました。
私には、16、7歳くらいに見えました。

彼らをみて、どこか気の毒に思いました。

で、妻が彼らを呼ぶときには、
友人とは違って優しさを感じたのです。


それから、私は中国に来るにあたって、
お金は、日本円しか持たなかったのです。
そして、両替をしなかったのです。

なので、私自身では何も買うことができませんでした。


ホテルで困ったのは、水道の水が
茶色くて飲めなかったことです。

それで、妻が買ってくれる飲料水が
のどの渇きをうるおしてくれました。

ある晩、私は自分の分の飲料水を
みんな飲んでしまいました。

妻のほうは、4分の1くらい残してありました。
私は、飲み足りなくて、
妻に、これは飲まないのと聞いたのです。
すると妻は、私は十分飲んだから、
あなた飲むいいよといったのです。

そこで、私は、じゃ、飲むよといって飲んでしまったのです。

そして、翌日になって、
妻の友達から、奥さんはあのときに自分も飲みたかったけど、
私が飲みたそうにしていたから、
飲ませたんだと聞かされたんです。


私が、妻のことを本当に愛しく思ったのは、
夜に、わたしたのズボンがほこりで汚れたからと
外に洗濯用の固形石鹸を買いに行ってくれて、
お風呂場で手洗いをしてくれたとき。

さらに、私が、上着を何かに引っ掛けて
ほころばせてしまったのですが、
それを、爪楊枝で繕ってくれている姿を見たときです。

私は、その姿に
とても胸が熱くなりました。

私たちの心は、しかっり結ばれたいきました。







2008.02.25

トイレ、トイレ、トイレ



妻とデパートに行ったときのこと。

各階のフロアーは、どこもお客さんでいっぱいでした。

行った時間が、ちょうどお昼時間だったので、
食事のできるフロアーに行きました。

そこで、ビックリ。
そのフロアーは、様々な食べ物を扱ったお店で四方が
囲まれていました。

その中に、日本食を扱っているお店がありました。
お寿司とカツや肉丼のお店です。

私は、無性に日本食が食べたい状態でしたので
肉丼を注文しました。

出来上がった肉丼をテーブルまで運んでから、
妻が自分の食べるものを注文しに席を立って行きました。

ところが、その妻がなかなか戻らないのです。
どこにいるのだろうと、
あたりを見回しました。

しかし、あまりに大勢のお客さんで
妻を見つけることができませんでした。

そうしているうちに、
私は便意をもようしてきたのです。
トイレに行きたくとも、
その席を離れてしまったら、
妻とはぐれてしまうおそれがありました。

私は、妻を待っていたのですが
なかなか来ず、お腹は、
もう限界が近づいていました。

脂汗が出てきていたのです。

ようやっと戻って来た妻に、
トイレに行きたいと訴えました。

そして、急いでトイレまで案内してもらいました。

トイレに入るや否や
間一髪のところで用をたすことができました。

トイレには、トイレットペーパーは
置いてありません。

妻からあずけられたテェッシュで
後始末をしました。

このときのトイレも、平らな便器でした。
でも、今回はどちらが前か後かと
迷っている余裕が全くなかったのです。

20分から30分くらい
トイレに入っていたと思います。

トイレから出たら、
妻が待っていてくれました。

妻は、あまりに長いトイレだったので、
トイレの中で何かが起きたのではないかと
とても心配になったそうです。

それで、男子トイレなのだけれども
中に入っていって様子を知りたいという
思いを抑えるのが大変だったと
後で、知りました。


妻の優しさを
いたるところで知ることになりました。

その辺のことについては
また、後で。



2008.02.24

冷たかった女性係官



さて、審陽の総領事館で独身証明書をとって
ハルピンの渉外婚姻登記所に二人で行きました。

受付窓口は女性係官でしたが、
とても冷たく、そっけない対応でした。

日本の役所の窓口で、このような対応したら
おそらく市民の苦情が殺到することでしょう。

このようにお話すると、
中国の方は、不愉快に思われるかもしれません。
しかし、これは私の受けた印象としてのお話です。

ここでの手続きは、お昼をはさんで大変時間がかかりました。
昼時間に、その女性係官の方が同僚と話すときは、
うって変わってニコヤカに会話をしていました。

笑顔はきれいなのにぁと、思ったものです。


そこで、妻と二人並んで写真を撮られました。
その写真を「中華人民共和国 結婚証」に、
貼り付けられました。

2004年6月01日のことです。


そのあと、ショッピングに行きました。
といっても、私は、ただついて行っただけなのですが。

いろいろなところを歩いたのですが、
あまり記憶に残っていません。
そんな中で覚えているのは、
妻が、靴を求めて行ったことです。

行ったところは、
まるで靴屋さんの市場であるかのようでした。
靴屋さんばかりが並んでいるところでした。

たくさんの靴屋さんがあるのに、
妻が納得する靴は、なかなか見つかりませんでした。

私は、もう何でもいいじゃないかって思いながら
付きあっていました。


どこのお店の従業員の方たちの対応も
冷たかったですね。

笑顔がないんです。

飛行に乗ったときのスチュワーデスさんもそうでした。
これは、中国の特徴なのかもしれませんね。

次回は、デパートでのハプニングをお話します。










ハルピンの街



今回は、ハルピンの町の印象をお話します。

私は、中国というと
自転車というイメージがありました。

それは、街を大勢の人たちが自転車で走っている中国
の映像をテレビで見ていたことによるものなのです。


ところが、ぜんぜん違っていました。
車がとても多いのです。
そして、とても乱暴な運転なのです。

バスは、大勢の乗客で混でいました。
急ブレーキをかけられて、
妻は腕をすりむいてしまったのです。


信号機が青であっても、道路を横断するのは
命がけでした。
これは、決して誇張していっているのではありません。

乗用車、バス、トラックと様々な種類の車が走っていました。
ただ、新車は、非常に少なかったです。
たいがいが中古車でした。

それから、人が多い。
半端じゃないです。

地下を歩いたときに、とても混雑していて
思うように進めない。

妻は、私と手をつないで歩いてくれました。
そうしないと、はぐれてしまったら
迷子になってしまいそうでした。

後で、ハルピンの人口を聞いてみたら
540万人だそうです。
日本で、500万人を超える人口の街って
東京、大阪のほかにどこでしょうか。

道を歩いていると、
腕のない人や片足のない人、目の見えない人などの
物乞いをする人たちも見かけました。

街には高層ビルもたくさんありました。
その一方で、とても古びたビルも多かったです。
また、洋風で歴史を感じさせる建物も多かったです。
歴史的にロシアの影響が大きかったとか。

そして、ビルの名前の表記が
すべて漢字というのも
私にはどこか落ち着きませんでした。

そして、不思議と中高年以上の人たちを見かけませんでした。

たぶん、学校の歴史の時間に学んでいたのだろうと思いますが、
伊藤博文が、暗殺されたのがハルピンの駅だったことを
初めて知りました。

今回は、ここまでとします。







2008.02.23

妻とのはじめての夜



審陽からハルピンに戻って、
私たちはホテルに入りました。

部屋は、バス、トイレつきで
セミダブルのベットが2台あって
比較的ゆったりとしていました。


初めて妻と(この時点では妻となる人)夜を
過ごすことになりました。


私たちは、あらためて自己紹介をしました。
私たちの会話は、もっぱら筆談によるものでした。
たいがいのことは、漢字で通じ合いました。

思いを伝えるために
一生懸命書きました。

漢字という共通の文化であることが
非常に助かりました。


こうして中国に来て二晩目が過ぎていきました。


翌朝、朝食はホテルのバイキングでした。
私の中にあるバイキングのイメージとは、
かなり違ったものでした。

私の記憶にあるのは、
数種類のお粥と卵焼き、豆腐(豆腐といわれなければ、
それとはわからなかった)、その他何種類かのおかずがありました。

卵焼きは、その場で焼いてくれました。
焼いてくれたのは、
幼い感じのする女の子でした。

卵焼きに醤油をかけたつもりが、
それは酢でした。

なかなか食べたいと思えるものは
ありませんでした。


それから、目にしたホテルの従業員は、
大変若い人だけでしたね。
(他の食事処に入ったときも若い人だけでした)

こうして、滞在3日目が始まりました。


ブログ村 国際結婚








2008.02.22

山積みのトラック



今日は、ハルピンから審陽まで走った高速道路の様子
をお話します。

ハルピンの町を出てからしばらくは、
小麦色の広大な大地の中を
道が通っている、
そんな情景でした。

時折、小さなたたずまいの家が
かたまって建っている集落がありました。

飛行機から地上を見たときに
目にした集落が、これだったのだろうなと
思いました。

その集落の周辺は、
広大な畑になっていて、
農機具らしいものは目にしませんでした。

たくさんの人と数頭の牛が、
作業していました。

車は、右側通行です。
すれ違うのは、荷物を山積みしたトラックが
ほとんどでした。

この山積みのトラックの荷物が、
今にも落ちてしまうのではないかと思ってしまうほど、
たくさんの荷物を積んでいました。

目にしたトラックは、
私には一昔前の古いタイプのものに思えました。

これらが、すごいスピードで走っていました。


パーキングエリアは、
私が普段見慣れている日本の高速の
それとは、全く違っていました。

非常に淋しい感じのするところで、
私には、長居をするところではないように
思いました。

実際に止まったのは、
トイレで用を足すためだけでした。

用をたそうと思って、トイレに入ったはいいのですが
どっちが前なんだろうと
一瞬考えてしまいました。

日本の便器は、金かくしがあるのに
その便器は、平らだったのです。
私の説明で、イメージできたでしょうか。



こんな話の後に、
食べ物の話もおかしいのですが、
少ししたいと思います。


彼女たちは、菓子パンを買っていました。
そのパンを渡されてビックリ!

大きいのです。
ボリュームがすごかったのです。

中国に来る4ケ月前に
友人とハワイに行ってきました。
ホテルの近くのABCストアで、買ったパンも
ボリュームがすごかったのです。

妻から渡された菓子パンを見て、
ハワイのことを思い出したのでした。


ブログ村 国際結婚










2008.02.21

心の交流



さて、審陽に向かう車中で
私たちの心が、どのようにして近づいていったかを
お話しましょう。


妻は、日本語を勉強しているとはいっても、
この時点では、会話は全くといっていいほど
できませんでした。

なので、会話がありませんでした。


ハルピンから審陽までは、
なにしろ6時間という長旅になることから、
夜食やおやつになるものを、
彼女たちが買い込んできました。

ハルピンを出発したのは、
夕方の7時頃だったでしょうか。
6月始めだったのですが、まだ太陽がありました。

車の窓に
広大な大地の向こうに沈みゆく太陽が、
まぶしく輝いていました。

その光が、ちょうど妻を照らし出していました。
そのため、妻はまぶしそうでした。

そこで、大地に沈みゆく太陽は
私には感動的だったのですが、
太陽の光をさえぎるように
帽子を窓にかざしました。

しばらくして、私は思い切って
彼女の手をそっと握りました。

すると、妻は優しく握り返してきました。


そのうち、私はうとうとしてきて
眠くなってきました。

そうしたら、妻が手招きで、
「私の肩に寄りかかって」といっているようでした。
それで、私は妻の肩に頭を寄せながら
眠ってしまったのでした。

そして気が付いたとき、私は
妻の膝枕で眠っていたのでした。

今度は、私が妻に膝枕してあげたのです。


こうして、言葉を交わすことはなかったのですが、
互いの心は、確実に近づいたのでした。


次回は、審陽までの高速道路に関わることを
お話しようと思います。







2008.02.20

文通交際がスタート



もしかすると、私が中国語を話せると、
このブログを読んだ方に思わせているかもしれませんね。

実は、中国語はまったくわかりません。


私たち夫婦は、友達の紹介で文通による
交際をしてきたことは、以前お話した通りです。

私たちの文通は、互いの母国語から始まりました。

私たちの手紙は、
中国人である友達の奥さんを経由していました。

友達の奥さんが、それぞれの手紙を日本語に、中国語に
訳して渡していたのでした。

でも、何度目かの妻からの手紙が、彼女自身による日本語の
手紙に変わりました。

妻は,仕事が終わってから日本語の勉強に
通い始めていたのでした。

妻から日本語で書いた手紙を受け取ったときは、
とても感動したものです。

さて、そんなわけで、ハルピンに着いてからは
私は、会話らしい会話をしていなかったのです。


食事の後に、友達の奥さんのお母さんは
ハルピンに残し、タクシーで一路審陽に向かったのです。

友達の奥さんは助手席に、
私と妻は後部座席にそれぞれ座りました。

この車中でも、私が話すことはほとんどありませんでした。


しかし、それでも私と妻の距離は
確実に近づいたのでした。

そのあたりのことについては、
次回としま。




2008.02.18

恐怖を抱いた奥さん



さて、今回は、私を待っていた奥さんはどうだったのかを
お話します。

ハルピンの空港では、奥さんが友達のお母さんと
知り合いのタクシーの運転手さんの3人で、
私たち(私と紹介者である友達の奥さん)の到着を待っていました。

ところが、前回お話したように私の入国の手続きが
思わぬほど時間がかかってしまいました。


奥さんは、ゲートから出て来る日本人の男性が、
白髪いっぱいの人だったり、かなり年齢のいっている人ばかりが
出てくるのを見て、怖くなってきたそうなのです。

何が怖かったかというと、
自分が、結婚しようとしている男性が、
こんなに老人のようだったらどうしようと思って、
怖くなったというのです。

それで、帰ろうとしたそうです。

それを、「大丈夫だから]といわれて、
友達のお母さんにとめられたのです。


そして、私が出てくるのを
おそるおそる待っていたのだそうです。


そして、やっと現れた私を見て
ホットしたとのことでした。


私たちは、空港からハルピンの市街地に向かいました。
タクシーで約40分ほど走りましたね。

まずは、食事をということで
案内されたところが、とても大きなお店でした。

とても広い店内は、人の通る隙間もないほど
大勢のお客さんで混雑していました。


この時点では、互いにこれといった言葉は
まだ交わしていませんでした。


私たちの気持ちが、近づき始めたのは
審陽に向かうタクシーの中でした。








2008.02.13

私をおいて行かないで



奥さんになる人に会うため中国ハルピン行くときに
流した冷や汗について、お話しましょう。


ハルピンに行くときに、紹介者である友達の奥さんが同行しました。
友達の奥さんも、中国人なのです。

新潟空港からハルピンに向かう飛行に乗りました。
搭乗時間は、約2時間10分だったでしょうか。

中国の飛行機なので、機内は中国語が飛びかっていました。
機内食が出されたのですが、私の口には合いませんでした。


眼下に小麦色の大地が見えてきました。
時折、かなり大きな集落のようなものが見えました。
民家と思われる建物が密集して並んでいます。


そうした集落のようなものが、広大な大地に点在してありました。
こうした情景は、私は、はじめて目にしました。


機内では、入国のためのカードが渡されて、
それに記入するよう言われました。

カードは、両面に記載事項があって、
片面は中国籍の人が漢字で記入し、もう片面は
中国籍以外の人がアルファベットで記入するようになっていました。

しかし、友達の奥さんは日本人も漢字を使うから
私と同じように書けばいいのといって、その通りにしました。



さて、ハルピンの空港に着いて、友達の奥さんの後をついて行き
入国のためのゲートまできたときです。

友達の奥さんは、すんなり通されていきました。

ところが、私がパスポートと
機内で記入したカードを提示したところ
止められてしまいました。

友達の奥さんは、そのことに気づかずにどんどん先へ
進んで行ってしまいました。


制服姿の係りの人は、中国語だけで話すので
私には、なぜ止められたのかがわからず、心臓がドキドキしてきました。

入国のためのカードの記入に問題があったのかもしれないと思い、
もう片面の中国籍以外の人が記載する欄に記入しなおしました。

そして、再度それらを提示したところ、
入国を許可され、ゲートを通ることができました。

友達の奥さんは、
私が、なかなか出てこないので心配をしていたところだと言いました。


このときは、一時はどうなるのだろうと、
本当に心ぼそく、また,冷や汗をかきました。





2008.02.03

日本総領事館で冷汗



結婚のために中国に行ったとき、
冷や汗をかいたことがありました。

それは、審陽の日本総領事館に行ったときのことです。

用向きは、私が結婚できる身分であることを証明してもらことでした。


そのために、事前に市役所で戸籍謄本を
取っていかなくてはなりませんでした。

市役所の窓口で戸籍謄本を申請し、
手にして見たときに、あることに気づきました。

そこには、離婚歴の記載がなかったのです。

私は、十数年前に離婚していました。


離婚するときに、調停だけでは決着しませんでした。
そこで、互いに弁護士を立てて裁判所を介在させての
協議離婚となりました。

手続きが終了した後に、確認のために戸籍謄本を取ったのです。

そのときの戸籍謄本には、離婚したことの記載がしっかり
されていたのです。

そこで、窓口の係りの方に、離婚歴の記載がないのだけれども、
これでいいのですかと確認をしました。

担当の方は、新戸籍法に変わったのでこれでいいのです
ということでした。


そこで領事館の話に戻ります。


領事館の担当の方から、あなたの離婚歴を証明する書類はありませんか
とたずねられたのです。
しかも、それがないと証明書を出せないというのです。


私は、このときに大変困りました。


「戻って書類をもらって、また来ます」と簡単にいえる距離では、
到底ありません。
そこで、私は市役所の窓口でのやり取りを伝えました。

そうしたら担当の方は、役所でそういわれたら仕方ありませんね。
今回は特別に許可をします。
ただ、この用紙の記載事項に記入してくださいといって、
用紙を渡されました。

その用紙を記載して、
無事に証明書をいただくことができました。

このときは、本当に冷や汗が出ました。







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