2011.06.19

娘の帰国に幸せを感じる



6月19日(日)

しばらく更新が途絶えてしまいました。

体調がいまいちすぐれず、
なかなか更新意欲がわきませんでした。


しかしながら、大きな動きがありましたので
そのことを書いておこうと思います。


それは、娘が帰ってきたことです。


私が鼻血を出したと聞いた妻は、ひどく動揺しました。
しかし、いま中国を離れられない事情を抱えていることが、
余計に妻の心を痛めつけたようです。

そこで、娘が「私がお母さんの代わりにお父さん世話する」
といってくれたのです。


それで娘が帰ってきてくれることになったのです。


17日金曜日、新潟空港に着く娘を迎えに行ってきました。


私は、体の状況から空港まで車で行く自信がありませんでした。
そのため、3月に妻を迎えたと同じように高速バスを乗り継いで
迎えに行ってきました。


娘と会うのは、およそ10ヶ月ぶりです。
いっそう女の子らしくなり、
きれいになっていました。


仙台に夕方の7時に着きました。
仙台では、事前に息子と会うことに約束をしていたので
三人で焼肉を食べました。

息子には兄弟がありません。
私が再婚したことで、妹ができました。

息子が初めて妹に会ったのは、
馬から8年前で、娘が12歳の頃でした。

息子は、今回妹に会えることをとても楽しみにしていました。

娘も「兄ちゃんに会える」と楽しみにしていました。


私たちは楽しい時間を過ごしました。


そして、私と娘は3月に妻と泊まった同じホテルに泊まりました。

翌朝9時に、一関行きの高速バスに乗って
10時30分近くに一ノ関駅に着きました。

後は自分の車に乗り換えて
12時30分近くに帰宅しました。



夕食の支度は、娘が「私がする」といって
作ってくれました。



幸せを感じた瞬間でした。


今日は、この辺で



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなた様も幸せでありますように。
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タグ:仙台
2011.01.06

愛しい娘よ、お前は一人じゃないよ



今夜は、しばれます。

かなり冷え込んできました。


いま(PM8:42)、お風呂からあがったところです。

水道を凍らせないように水抜きをしないと。


とりあえずは、コーヒーを飲むためのお湯を少々多めに沸かしてポットに入れました。

そして、万一凍ったときのためにお鍋にも水を入れておきました。


さらに、洗面所の洗面器にも水をはっておきました。


そうしてから、水を落としました。


我が家の水抜きは、外にあるのです。


台所に近いところにあるので妻がいるときは、

私が外にでて「お〜い、準備ができたから水を流してくれ」と

声をかけて水抜きをしていました。




いま一人なので、台所と洗面所の蛇口から勢いよく水を流しながら、

外へ出て水抜きをします。



外は、暗いので懐中電灯を持って水抜きをするんです。


外は、ビリビリした寒さでした。



ところで、いま、

パソコンの部屋にポットとコーヒーを入れたカップを持ち込み、

お湯を注いでコーヒーを飲みながら記事を書いています。



それと、みかん2個に、おしぼりも持ってきました。




娘は、自分の机の周りにポットやお菓子を置いて、

机から離れることなくパソコンをしていました。


いまの私は、そんな娘と同じ事をしているなぁと、ふと、

おかしくなりました。




娘とは、いろいろなことがありました。


本当にどうしてよいかわからなくなることも。



親子になるための闘いだったと思います。



もう、「だめかも・・」と

ギブアップしそうなときもありました。


でも、『娘は、とても淋しいのだ』

ということに気づいたのです。


それからですね、娘と近づけたのは。



そうしたことがあった分、

いま、娘のことがとても愛しいです。



娘よ、あなたは一人じゃないよ。

お母さんもいれば、

私もいるんだよ。




妻に会いたいと思うのと同じくらい

娘に会いたいと思います。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あなた様のご家族も幸せでありますように。
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2009.07.19

娘の腎臓は大丈夫か



今回は、娘のことを書きます。


娘は、今年3月に地元の中学を卒業しました。


卒業後の娘は、家から出ず
毎日インターネットをしています。


困ったことに、日・夜が逆転しています。

日中寝て、夕方から起き出して、
一晩中ネットでチャットをしています。

パソコンの向こうの人とマイクを通して会話をするので、
わたしたちの眠りを邪魔しています。


静かにするようにお願いをするのですが、
両耳をエヤホーンでふさいでいるせいか
そのうち声が大きくなってしまうのです。



そんな娘が、
最近中国に帰りたいといい出しました。



妻が仕事でいないときに、
中国のお祖母ちゃんと泣きながら電話をしていました。


わたしには、
誰と何を話して泣いているのかわかりませんでした。


娘が、心が落ち着いてから
わたしに一言、「中国に帰りたい」と言ったのです。




昨日妻と買い物に出かけたときに、
妻が、「○○が中国に帰りたいと言い出した。
どうしてだろう」といいました。


娘が中国に帰りたいという思いは、わかるような気がします。


しかし、いま娘の体に心配なことがあります。


尿に蛋白が出ているのです。


これまで2ヶ月に一度の定期検査をしてきました。

担当医は、腎臓の働きに問題があるのかどうかを
細胞を取り出して検査しなければいけないかもしれない
と言っていました。


それで先月から、腎臓専門の医師に代わったのです。


その医師の診察を7月23日に受診することになっていす。


そうした体の心配があるのです。


妻もわたしも不安な気持ちでいるのです。






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タグ:
2009.03.15

娘の幸せのために



今月26日か30日に、
妻と娘が帰ってきます。

本当にあと少しの辛抱です。


娘は、帰りたくないのを
仕方なく帰ってきます。

しかし、
帰ってきて良かったと思えるように、
させたい。

ここで生活できることが幸せだと
思えるようにさせたい。


生きていることが
とてもすばらしいことなんだということに
気づいてほしい。


私にできることを
精一杯していこう。



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2009.03.14

悲しい卒業式



3月14日、今日娘の中学の卒業式がありました。

本来なら、娘が卒業証書をいただくところでした。
しかし、残念ながら娘は日本に戻りたくないと、
いま中国にいます。


わたしは、娘の出ない卒業式に行ってきました。


3年生一人一人呼ばれて壇上に上がり、
校長先生から卒業証書を授与されるのを見てきました。

わたしは、そこに娘の姿のないのが、
とても悲しく辛かったです。


わたしは、この学校に通うい始めた頃の
楽しそうにしていた娘の様子や、
テニスクラブの部活をしていた頃の様子、
2年生のときの文化祭のでのこと、
学校へ行きたくないといって、泣いていたこと、
辛くて死にたいといっていたこと

娘が、3年生になって初登校したときに、
自分の名前を記した下駄箱を探しましたがありませんでした。
娘の分だけありませんでした。
仕方なく、空いているところに靴を置いたそうです。

後日、このことを先生に話しました。

「忘れていました」

そんな一つ一つのことが思い起こされました。



そして、壇上に上る卒業生の中に
制服姿の娘の幻を見ていました。



式が終わって、教室に戻った生徒たちに担任の先生が、
感極まって声を詰まらせながら、いろいろ話をしました。

その先生の話に、生徒やその保護者の方も
泣いていました。

まるで、ドラマの「金八先生」を見ているようでした。

それから、一人一人が前に出て、
一言を述べました。


「このクラスは、みんな仲良くできて
本当に楽しかった。」

「わたしには、みんなとの楽しい思い出ができて
良かった。ありがとう。」

「わたしは、みんなとじゃれているのが好きだった。」

「僕たちの絆は、これからも切れることがないと思います。」

「みんなと一緒になれて良かった。
みんなと今日でお別れだけど、高校に行って会える人もいると思う。」

「僕は、精神的なことで学校に来るのが少なかったから、
みんなのように楽しい思い出はあまりありません。
でも、その分毎日のことは鮮明に残っています。
ありがとうございました。」

などなど・・・・。




わたしは、誰かが娘のことを
一言でも言ってくれるのではないかと
思いながら聴いていました。





しかし、残念ながら
一人もいってくれませんでした。



わたしは、思いました。
このクラスに、この学校に娘の居場所はなかったんだと。

娘が、不登校になったのも無理からぬことだったと思いました。





昨日の夜、妻と久々に電話で話しをしました。


今月26日か30日には帰りたいと思っている。
娘は、帰りたくないといっているが、
とりあえず連れて帰りたいということでした。


一緒に帰ると聞いて、
嬉しかったです。


娘の卒業証書は、
帰ってきてから校長先生より手渡ししてもらうよう
お願いしようと思っています。




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タグ:卒業証書
2009.03.12

娘の苦しみ



今回は、娘の近況について書きたいと思います。


娘は、1月9日に妻とともに中国に帰っています。

中国では、父方の祖父母のところで生活をしています。
妻は、自分の家で過ごしています。


これには事情があるのですが、
そこは、またいつかの機会にしたいと思います。


というわけで、別々の暮らしになっています。
時々町へ一緒に出かけるということはしているようです。


最近娘と電話で話をしました。

娘は、日本に戻りたくないといっているのです。

日本に戻っても、言葉がわからないことから
外に出るのが怖い。

そうすると、これまでと同じように
一日中家の中に閉じこもってしまう。

それは、とても辛いこと。



こちらで中学校に行けなくなったのは、
クラスメートから受け入れてもらえなかったり、
いじめに近いことがあったためです。


学校から帰ってくると、
泣きながら、もう学校には行きたくないという娘に
それでも、学校は行かないとダメなんだよといいながら
行かせていたものでした。


担任の先生が、わたしたちの都合に合わせて
夜の8時頃とかに家庭訪問するなどしてくれたのですが、
最終的には、不登校になってしまいました。


中国にいるときは、学校に行くことが楽しかった。
友達もたくさんいた。

でも、日本にきてから
学校は、とても嫌いになった。
日本人は、誰も信用できない。

そうして家の中に閉じこもって、
一日中インターネットをして、過ごすようになりました。

妻は、こうした生活になってしまった娘にいらだって、
インターネットなんかできないようにしてしまうといって
怒ったことがあり、娘と喧嘩をすることもありました。

妻は、娘の将来を思い、
このままでは先が思いやられる。
何とかしなければという親としての思いから焦っていました。




娘が妻と喧嘩したときに、
わたしにいいました。

「わたし、死にたい。
毎日が辛い。インターネットしなかったら、ほかに何ができる?
わたしには、インターネットをするしかないの。
わたし、中国に帰りたい。」

と泣きながら訴えられました。


わたしは、
このときに娘の閉ざされていた心に触れた思いがしました。

わたしは、娘を抱きしめました。

娘の苦しみを受け止めて
抱きしめることしかできませんでした。



こうした経過があって、
今回お正月を中国で迎えたいという妻とともに
中国に帰って行ったのです。





そして、話は戻りますが
日本に戻りたくないというのです。


娘にとって、これから先どうすることが良いことなのかが
わからずに悩み苦しんでいる妻とわたしです。




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タグ:
2009.03.11

娘の写真



今日、娘が通っていた中学校に
用事があって行ってきました。

その際に、
担任の先生や校長先生にもお会いすることができました。


担任の先生も校長先生も
「○○さんは、帰って来ないのですか。」と
たずねられました。


わたしは、
「申し訳ありません。まだ、いつ帰るか
わからないのです。
とても残念なのですが、卒業式に出られません。」

そんな会話をしてきました。




わたしが、仕事で関わっている高校の卒業式が
3月1日にありました。

わたしは、来賓ということで
出席をいたしました。

この卒業式を見ながら、
娘が卒業式に出れないことが
とても残念でなりませんでした。


今日、保健の先生から
○○さんが作ったんですよといって、
手のひらサイズのbookを渡されました。

ページをめくると、
ネットから取り出したと思われるイラストと
昨年のお正月に、東京の後楽園に遊びに行ったときの写真を
とりこんだ何枚かのページがありました。


このときは、妻と娘の二人で
東京に住んでいる妻の弟のところに遊びに行きました。

そのとき弟夫婦に、後楽園に連れて行ってもらったそうです。

このとき、娘は楽しかったんだろうなあと思われる
笑顔の写真でした。


このbookを見て、
娘がとても恋しくなりました。


娘が、妻と一緒に帰ってくることを
願ってやみません。



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タグ:卒業式
2008.11.24

優しくなった娘



娘は登校拒否になって頭を痛めていますが、
一方では、嬉しい変化もあるのです。

それは、娘が『優しくなった』ということです。


これまでほとんど、「ありがとう」ということがなかったのです。
娘のために何かをしても、感謝の言葉や思いをいったり、
感じたりさせることがありませんでした。

でも、この頃
些細なことでも、娘のためにすることに対して、
「ありがとう」といってくれるのです。

これは、わたしにとって、
本当に嬉しいことです。

また、妻が夜の仕事に出かけるために
わたしが帰ってから食事の支度をするのですが、
それを手伝ってくれたりします。

さらに、3人で食事をするときも
食卓に笑いが生まれるようになりました。

これは、大変な変化なのです。


娘は、なぜこんなに変わったのでしょう。


娘の心の痛みを少しでも感じたいと
思うようになってからの変化なのです。


妻は妻で、仕事先で傷つついてきて、
自分のこともままならずにいたのです。
そのことで、娘の心に思いをはせる余裕がありませんでした。

そんな妻に対して、わたしは、
なにかにつけて、「あなたの娘だろう」といって、
妻を責めることばかりをしてきました。


ひどい夫だったと思います。
私自身を反省し、それぞれの痛みを感じ取れるように
なりたいと思うようになり、わたしが変わってきたと思うのです。


「人を変えたければ、まず、自分が変わりなさい」
ということを聴いたことがあります。
まさに、その通りだと思います。


残念ながら、娘は「学校へ行かない。行きたくない」という状況は
変わっていません。

いまは、娘の心に寄り添うことを第一にしようと思っています。


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登校拒否



娘の登校拒否が、また始まりました。


担任の先生は、何度も電話をかけてよこします。
場合によっては、家に来るとまで行ってくれています。

しかし、娘は会いたくないという。
理由は話してくれません。

学校に行くことが辛いというのです。


そんな甘えるんじゃないよい。
辛いからって、それから逃げていたら、
これから先たくさんのことから逃げるようになる。
それに、学校に対して私はとても恥ずかしい。
とにかく学校へ行きなさい。
と、これまでのわたしはそう思っていました。

こんなわたしに、娘が心を開いてくれる訳がありません。


でも、何日か前の晩、
娘の心の叫びに耳を傾けて聴いてみようと心から思いました。

そのとき、娘は大粒の涙を流しながら、
学校にいることが辛いといいました。

そして、「わたし、生きる疲れた。死にたい」と
いったのです。

「死にたい」

それほどまでに苦しんでいた。

娘の心を、ほんの少しではあるけれど知ることができました。
わたしは、この子を幸せにしたいと思いました。

そのために、もっと娘の心に触れていこうと思いました。

先生とも、時間をとってじっくり話し合いたいと思っています。


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2008.11.15

永住許可がおりました、娘の



昨日(11月14日)、仙台に行ってきました。
娘の永住許可がおりたので、そのための手続きをするためです。

3ヶ月前の8月初旬に、永住許可申請の手続きをしていました。
その折に、「結果が出るのに半年から1年はかかると思います」
と、受付をしてくれた女性係官が話していました。

妻の永住許可の申請から許可がおりるまで半年かかったのです。
なので、女性係官のお話されたことには、納得していました。

ところで、妻はこの手続きをする前に、
占いをする中国の知人に、娘の永住許可がおりるかどうか
不安だったので、この件を聞いていたそうなのです。

回答は、10月頃に許可がおりるというものだったそうです。

この話を手続き前に妻から聞いたとき、そんな短期間で結果が出るとは
思えないと思っていました。

それが、今月はじめに入国管理局のほうから許可された旨の通知が
きたのには驚きました。

占いの通りだったからです。


娘の永住許可については、そのような経過があったのです。


昨日は、お天気もよく気持ちよいドライブ日和でした。


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タグ:永住許可
2008.10.29

娘の進路で悩む



いま、中学3年生の娘の進路で頭を痛めています。

娘は、昨年6月に日本にきました。
地元の中学校に年齢より1学年落として、
2年生に入れていただきました。

言葉を覚えることが何より優先したからです。

しかし、クラスの仲間とうまく交わることができずに
今年の4月から不登校になっていました。

担任の先生が、何度も訪ねてくれて娘と話をしたりしました。
そして、夏休み直前になって、
一日2時間の授業を受けるまでになりました。

校長先生や担任の先生方には、いろいろご配慮いただいてのことです。

しかし、
3年生は、もう進路について決めなくてはならない時期に来ています。

いまの娘の日本語の足りない理解力では、いける公立高校はありません。

今日、仕事場のほうに、
校長先生が娘の進路の件で、
わざわざ電話をよこしてくださったのです。

中国から来た生徒なので、入試の時に考慮していただけませんかと、
高校側とご協議をしているそうです。

仮に高校にいけたとしても、学習についていけないと思うのです。
なので、わたしとしては、
定時制に進むのがよいのではと考えているところです。

ただ、まだ本人や妻と話し合っていないのです。


また、娘とわたしの距離は、
少しではありますが近くなっているのかな
と感じています。

娘には頭にくることがたくさんあるのですが、
私自身が、娘を愛しく思うようになってきました。

親子の関係って、血のつながりだけで
成り立つものではないと思うのです。
日々の生活のなかで、いろいろな関わりを辛抱強く持っていく。
そうしたことを積み重ねていくことを通して、
築いていけるのではないでしょうか。

真に親子となるためには、娘とわたしとの葛藤は、
まだまだ続くと思います。

いまは、親子になれると信じていくことが大事だと思っています。


娘の幸せを願っています。

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タグ:校長先生
2008.08.20

不登校の娘が学校へ



今回は、娘のことについて書きます。



娘は今年の3月7日、まだ春休みにもならない時期に、
学校生活が辛いので一度中国に帰って
心を休めたいということで帰りました。

往復のチケットで、戻りは3月27日でした。


ところが、中国滞在中に日本に帰りたくないといい出しました。


私たちは、今戻らなければ中学校を卒業できなくなることや
自身の将来にとって、とても大きなマイナスになることを話して
日本に帰ってくるように説得をしました。


娘は、しぶしぶ戻ってくることにしました。


しかし、4月の新学期が始まってから数日登校しただけで
以降不登校となってしまったのです。

娘は気持ちが荒れて、私たちはどう向き合ってよいかわからず、
途方にくれるようになりました。


私たちにとって、本当に苦しい日々が続きました。


娘は娘で自分を持て余していたのかもしれません。
娘にとっても辛かったのかも知れなのです。

娘の心を理解することができずにいました。


そのうち、先生が家庭訪問してくれて、
娘のことをなにかと気遣ってくれました。



娘は、一日中インターネットをしていました。

インターネットが、娘にとって唯一の心のはけ口だったと思います。


最近、娘の気持ちが落ち着きを取り戻してきたようです。
私とも少しではありますが、会話をするようになってきました。


なにより、学校へ行くようになりました。

といってもフルタイムの学校生活ではありません。
朝9時頃に学校に行き、
2時間ほど日本語の勉強をし、
給食を食べて帰ってくるという変則な学校生活です。


学校には、大変面倒をおかけするのですが、
私は、徐々に学校生活になじんでいけばよいと思っています。


先生からは、中学卒業後の進路をどうするかを聞かれます。
妻は進学させたいと思っているのですが、
私は、いまの状態で高校受験は無理だろうと思っています。

私たちにできる範囲で、
どうして上げることが娘にとってよいことなのか、
いまのところ、答えが見つかっていません。



ただ少しでも、娘が前向きに考えて前進できるように
サポートしていこうと思っています。













タグ: 中国
2008.04.21

親の愛の深さ



今回は、親の子供への愛について
私なりの想いをお話したいと思います。


私は、最初の結婚に失敗して
息子と別れて暮らすことになりました。

私は、いつも息子のことを心配していました。
そして、息子に逢えるようになって、一緒に過ごせるつかの間の
時間が宝のようでした。

このように息子のことを心配している私に、
母はこういいました。

「おまえが息子のことをあんじているように(心配しているように)、
私は、そのおまえのことをあんじているんだぞ。そんな私のことを
考えてことあるか」

こういわれて、初めて気がつきました。

そうだった、私は、息子のことは心配しても、
母の私を思う気持ちや心に思いをはせることはなかったな。

これが、親なんだなって、思いました。



親は、子にどんなに踏みつけにされても、痛めつけられても、
それでも子供を許し、子供の幸せを望む。
これは、親だからできることだと思います。



私は、かつて親にとんでもない心配をかけていました。


それは、私がある宗教団体にのめりこんでしまったときです。
わたしは、このとき職場を辞めようと思っていました。
そして、その宗教団体の中で生きていこうとしていたのです。

このとき、母は常軌を逸してしまいそうになるほど、
そのなかに飛び込もうとする私を止めようとしました。

でも、私は、そんな母の思いを受け入れることができませんでした。


むしろ、どうして私の気持ちをわかろうとしないのかという
腹立ちの方が大きかったのです。


このとき、私の幸せのために、母がどれだけ必死だったかを
いまならわかるのです。


親の愛ほど大きな愛はないと思います。
しかし、その大きな愛が、ときには見えなかったり、
感じることができなくなってしまうことがあります。

親からの反対などで自分の思いや、
欲望が満たされないときにそうなることがあるようです。

心の目が雲ってしまうと、『愛されているのに、愛されていない』
と思ってしまう。
こうなると親は苦しくなります。

でも、本人も苦しんでいます。
自分自身の激しい感情のやり場に苦しんでいます。

これは、とても辛いものです。
いったいどうすれば、さんさんと輝く太陽のような親の愛が
自分を照らしていることに気づけるのでしょうか。


いま、母に通らせた同じ道を、私も歩いています。



















2008.04.02

娘は反抗期?



娘のことを少しお話します。


娘は、いま15歳。
誕生日が来ると16歳になります。

いま、地元の中学校に在籍しています。
4月から3年生です。


3月7日に中国に帰り、
つい先日の28日にこちらに戻りました。

身長がどんどん伸びて、いま163センチあります。
小顔で、足がスラーと長く
とてもスタイルのいい子です。

そして、心根のやさしい子です。

私の母が来ると、
妻と同じようにいたわります。

母は、方言で何かと語りかけるのですが、
娘には、理解できません。
それでも、うなずきながらあいづちをうっています。


しかし、15歳という年は微妙な年頃。
ときどき、反抗的な言葉を投げかけられることがあります。

こんなとき、私は
どう向き合ったらいいのか、とても戸惑うのです。


娘は9歳のときに、父親を亡くしています。
その後、ある事情から
父方の祖父母のところで育ちました。

そして、12歳の時に
お母さんが私と結婚したことで、
日本に来ることになりました。

しかし、このとき、日本での暮らしは数ヶ月でした。

とても祖父母をこいしがって、
毎晩泣きながら電話をしていました。
小学校にも通ったのですが、
とにかく中国に帰りたいということで、
帰すことになったのです。


娘にとって、
言葉というのは、とても大きなストレスの原因になったようでした。
そして、ふるさとから遠く離れた、異国の地での暮らしは
耐えがたかったのかもしれません。


そして、昨年の6月に再び日本に来ました。


娘の心は、どんな色をしているのでしょう。


やさしい心根の子。


でも、ときとして、荒れてしまう。


反抗期?


私は、この子の父親になれるだろうか。

「お父さん」と呼んでくれるときがくるのだろうか。


この子の未来が、幸せな未来となるよう
どんなことをしても護り、育てたい。


娘よ、

あなたの、邪気のない寝顔は天使のように
優しい。














2008.03.28

阿賀野川サービスエリアの給由所閉鎖



無事に新潟から帰ってきました。


今回、帰りが極めて順調でした。

飛行機の到着が、予定よりも10分ほど早まりました。
それで、新潟空港を12時に出発し、
高速道の最終地点・一ノ関インター(岩手県一関市)に16時45分頃に
つきました。


経路は、日本海東北道の新潟空港ICにのって、
新潟中央JCで磐越道に、郡山JCで東北縦貫道を仙台方面に進み
一ノ関ICでおりる。
この間、約5時間。

(我が家までは、ここからさらに一般道を走って2時間かかります)

高速料金は、5,950円。
但し、軽自動車です。



途中2箇所のサービスエリアで、
トイレ休憩をしたくらいで、
あとは走りつづけました。


今回、明らかになったことがあります。


それは、時速80〜100キロで走るのと、
時速120キロ以上で走り抜けるのとでは、
ガソリンの消費量が全く違うということです。


当り前といってしまえば、それまでなのですが、
これまで新潟空港を出るときに、ガソリンを満タンにしても
仙台のあたりで、給油しないと危険な状態になっていました。


しかし、今回、できるだけ80キロを基本に走行したら
一ノ関まで余裕だったのです。


これは、今回の大きな収穫でした。



それから、磐越道の阿賀野川サービスリアの給油所が、上下線とも閉鎖になっていました。
調べたところ、平成20年1月31日20時をもって閉鎖したそうです。


インターネット上のサービスエリア情報のなかには、
まだ給油所があると記載されているものがありますので、
どうぞ気をつけてください。


今夜は、ここまでとします。








2008.03.27

新潟空港まで深夜ドライブ



今日は3月27日(木)。
今夜、私と妻は、新潟に向けて出かけます。


3月7日(金)に中国に里帰りをしていた娘が、
明日帰ってくるかです。

ハルピン8:05発、新潟11:15着の中国南方航空の
飛行機で帰ってきます。


私たちは、新潟空港までの送り迎えのとき、
いつも自宅を夜の10時頃に出かけるのです。
そして、高速のサービスエリアで仮眠を取りながら、
翌朝の7時頃に空港に着くというパターンを繰り返しています。


片道7時間。
往復14時間。


結構きついです。


娘は、15歳。
まだ、新幹線などを使って一人で帰ることが出来ません。
それが出来るようになると、
かなり助かるのですが。



里帰りをする3月7日、
インターネットの磐越自動車道の道路情報は、
雪マークでした。

私は、雪道を走ることに慣れておらず、
ましてや高速道路が雪とあっては、なおさら走りたくなかったのです。


しかし、東北新幹線と上越新幹線を使って新潟まで3人で行くとなると、
旅費負担がかなり大きくなってしまいます。
新幹線を使った場合、前泊が必要になるのです。

それで、これまで通り、
止む無く自動車で送ることにしたのでした。


このときは、さいわいにも雪がなかったので、その点は救われました。
しかし、大変なアクシデントがありました。

そのときのアクシデントについては、
カテゴリ「妻の1人娘」・記事「ホンマ健康ランドはどこ?」
「アクシデント」のところでお話していますので、
そちらをご覧ください。


今回は、新潟空港へ直行なので
何事も起こらないものと思います。


さぁ、軽自動車に毛布や枕を積み込みました。


それでは、行ってまいります。






ディズニーランドに助けられる



中国に帰った娘が、その後年に1度夏休みを利用して、
こちらで20日くらいを過ごしていく
というようになりました。


ディズニーランドで遊んだこともあります。

このときは、午前中から閉演時間の夜9時まで
いっぱい遊んで、その後にお土産店で買い物をしました。

ところが、10時も過ぎて
お店が閉店の準備に入った頃、
娘は突然、めまいがするといって
立っていられなくなりました。


それからまもなく、意識もなくなり始めたのです。


妻は、おろおろするばかり。
私は、お店に入っていって、救急車をお願いできませんかと
店員さんに頼みました。

そうしましたら、ディズニーランドのなかにある救護室
まで案内してくれました。

そこで、看護士さんがいて、娘の様子を見ながら
どこかの病院と連絡をとりました。

そして、受け入れるという病院まで、
そこの車で連れて行ったくれたのです。
15分くらいのところだったと思います。

そうして、病院の先生に診ていただいたところ、
脱水症状だということがわかりました。


この日は、結構暑かったのです。
妻と娘は遊びに夢中になって、ほとんど食事も水分も
とらなかったのです。

娘は、病院にいる間に、すっかり元気になりました。



このときは、ディズニーランドには
本当にお世話になったのです。


ディズニーランドで働いている人たちの
マナーもすばらしいと思ったのですが、
救護体制もすばらしいと実感したのです。


私たちにとっては、
忘れることのできない出来事になりました。


こうして、一夏を日本で過ごすことが何度か
繰り返されたのです。












2008.03.25

娘の父親になれるだろうか



私は、妻の娘の父親になれるだろうか
というところを、今回は取り上げてみます。



娘とのことを語る前に、
ひとりの子の父親としての自分について
お話をいたします。


カテゴリ「国際結婚に至る経緯」・記事「中国人女性となぜ結婚?」
のところで、私の子供について少しふれました。


私には、前の奥さんとの間に男の子がひとりおりました。

妻との別居生活に入ったとき、
息子は小学校3年生でした。


息子は、私にとって、とても愛しいものでした。


別居後しばらく息子に会えない期間がありました。

息子は、どうしているのだろうか、
ちゃんとご飯を食べているだろうか。
妻方の祖父母に可愛がられているだろうか
など、心配と愛しさでいっぱいで、このときは辛かったです。

そのうちに、私のところに泊りがけで
来ることが出来るようになりました。

私のところといっても、
息子にとっては、以前住んでいた自分の家です。

それなのに、どこか遠慮がちでした。

冷蔵庫を開けるのにも、
いちいち、「お父さん、冷蔵庫開けていい?」と聞くのです。
私は、こんな息子が愛しくて抱きしめたくなるものでした。



息子が小学5年生の時に、4泊5日のドライブ旅行をしました。
軽自動車に毛布や枕を積み込んで、行き先を決めずに気の向くままの
旅でした。

この旅で、新潟県の佐渡島に行きましたし、秋田県の男鹿半島にも
行きました。



この息子が大学4年生のときに、
私は再婚したのです。


このように、ひとりの子の父親である私が、
妻の娘を、自分の子として受け入れることが
出来るのだろうかという不安を持ちながら、
新しい3人家族がスタートしたのでした。


ところが、
スタートをきって1ヶ月半で、娘が中国の祖父母のもとに
帰ったのです。


私と娘とのコミュニケーションが
途絶えてしまいました。


この後の娘とのことについては、またの機会とします。





2008.03.24

娘との別れ



カテゴリ「国際結婚に至る経緯」・記事「キューピットとになるのも大変」
の続きです。


私が、中国から帰って一ヶ月半、
待ちに待った妻と娘との3人暮らしがスタートしました。

私たちの意思の伝達手段は、
漢字による筆談から始まりました。


妻の方は、日本語学校に通ってきたということでしたが、
会話はほとんどできませんでした。

さらに、娘は全くできませんでした。


こちらに来て一ヶ月近く経ってから、
娘を小学校に通わせることになりました。


娘は、中国では小学校6年生になる直前でした。
こちらに来てから、地元の小学校の5年生のクラスに
入れていただくことになりました。

一学年遅らせることにしたのです。

なによりも、日本語を覚えなければならなかったからです。

このときに、市役所の教育委員会や小学校などに
大変お世話になりました。
校長先生などは、娘に日本語を教えるために
電子辞書まで買い込んだりしたほどです。


ところが、たった一週間通っただけでした。

それは、娘が中国に帰ることにしたからなのです。



娘は、事情があって
しばらく、父方の祖父母のもとで暮らしていました。

日本に来てから、毎晩のように祖父母を恋しがって
電話で泣きながら祖父母に帰りたいといっていたのです。

こうした思いが、あまりに強かったので
妻は、Aさんの奥さんに相談していました。

このときに、Aさん夫婦は車で2時間かけて、
我が家まできて相談にのってくれたのです。


中国では、学校の勉強量が
日本の学校よりもとても多く、
中国に帰るなら、早めに帰らないと
勉強が追いつかなくなってしまう。

そこで、帰すことにしたのです。


こうして娘は、2ヶ月弱で中国に帰ったのです。


妻は、娘を乗せた飛行機の姿が見えなくなっても、
その機体を涙を流しながら追いつづけていた姿が
痛々しかったことを
私は忘れません。



私と妻との二人生活になったのですが、
ここから、喧嘩することが多くなりました。

そのたびに、Aさんの奥さんに電話をして、
互いの言葉を通訳していただいたのです。


Aさんの奥さんなくしては、
私たちが、互いを理解し合うことは出来なかったと
思います。

本当に感謝です。











2008.03.10

アクシデント



やっとのことで、たどり着いたホンマ健康ランド。

安堵し、どっとでた疲れを、
様々な種類のお風呂につかりながら
体を癒しました。

そのあと、フロントで新潟空港までの
道順を尋ねました。

メモ用紙に地図を書いてくれたり、
「新潟市観光ミニMAP」を見せていいただきながら、
大変丁寧に教えてくれました。

ハルピン行きの飛行機の出発時間は、
12時15分。
10時までに空港に着けば十分でした。

道筋を教えていただいたものの、
知らない街を走るので、
朝7時に健康ランドを出ることにしました。


リクライニングチェアというのでしょうか、
そこに体を寝かしたのですが、
ほとんど眠れないままに、朝を迎えました。

そして、空港に向けて車を走らせました。

書いてくれた地図を頼りに、
まず、女池I.Cを目指しました。
女池I.Cからバイパスにのり一日市I.Cで
おりれば空港はすぐだと教えられたからです。

教えられた通りに走っていたら、
案内標識に、女池I.Cの文字が見えてきました。

その案内標識にしたがって走っていったら、
道がY字型にわかれて、まっすぐ行くと高速道の入り口になり
左に行くと、鳥屋野交通公園となっていました。

そこで、鳥屋野交通公園の方に進みました。
ここは、前の晩迷い込んだ新潟市民病院のところだったのです。
ここの案内標識に「←女池I.C」というのを見ていました。

そして、路面には右方向に県庁・女池I.Cと書かれてあったので
その方向に走りました。


ところが、案内標識に県庁の表示は見えてきても、
女池I.Cの表示が見えません。

どうも、逆方向に走っているような感じがしていました。

それから、どこをどう走ったのかわからないのですが、
いつのまにかバイパスにのっていました。
それも、空港とは反対方向に。

そこで、黒崎I.Cというところでおりました。

黒崎I.Cをおりてすぐに、近くにいた男性に道を尋ねました。
男性は、「いま来た道とは逆方向になります。
黒崎I.Cに戻って新田方面にのって一日市I.Cでおりてください」
と教えてくれました。

そこで、反対方向に車を迂回し、
案内標識に黒崎I.Cの表示を探して走りました。

しかし、表示が見えない。
おかしい!?

ガソリンスタンドで聞こう、
と思いながら走ったのですが、
走行車線側にスタンドがない!?


健康ランドを出てから
1時間近い時間が過ぎていました。


娘は、イライラし始めました。


私も不安になってきました。
10時までに空港につけるのだろうか。

そんな不安を抱きながら
スタンドはないか、スタンドはないかと思いながら
走りつづけたのです。


やがて、案内標識に「県庁→」の表示が出てきました。
そこで、県庁を目指して走りました。
そうして走っていくと、「↑女池I.C」がでてきました。

スタンドがあったので、車を止めて再度道を尋ねました。
そこで女池I.Cの方向を確認して、走りました。


ところが、ところが、
またしても朝と同じY字路にでたのでした。

そこで、今度はまっすぐ高速の入り口に向かって進んで
ゲート前で車を止めて、ゲート脇の事務所に行って、
「新潟空港に行こうと女池I.Cを目指してきたのですが、
道を教えていただけませんか」と尋ねました。

すると、ご年配の方が、「空港に行くのであれば
この高速を入って、左側の村田方面に行って
ここから二つ目ですよ。
料金は、普通車で400円位です」
と教えてくれたのです。


新潟空港についたのは、8時30分頃でした。


案内標識の「女池I.C」を頼りに走って、
3度も同じ道に迷い込んでしまったのです。

ホンマ健康ランドを出て、新潟空港につくまで
たくさんの方にお世話になりました。

道を尋ねたいずれの方も、
親切に教えてくれました。

今回、新潟市民に、
大変お世話になりました。

本当に、ありがとうございました。


おかげで、娘を無事に中国に帰すことができました。

そして、私たちも
無事に家路につくことができました。











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