2011.06.10

鼻血が止らない



私、昨晩9時頃から鼻血が出て止らなくなり、
県立病院に救急で行ってきました。

処置してもなお一晩止らず、
今日朝一で耳鼻科に行って処置し、ようやっと止りました。


二日前の午後、仕事中に急に鼻血が出ました。
このときは、すぐに止りました。


そして昨日、昼にまた鼻血が出てきました。
このときも5分くらいで止りました。


ところが、夜9時を過ぎた頃
急に鼻血が出始めたのです。

これまでは左の鼻から血が出ていましたが、
夕べは最初左から出て、そのうち右からも出てきました。

そして、なかなか止らなかったのです。
病院に行こうと思っても車を運転できる状態ではなかったので
実家の儀姉に電話をして家に来てもうようお願いしました。

甥も一緒に来てくれました。

儀姉が、「大丈夫だから、心配ないから」と声をかけてくれ、
持ってきたタオルで鼻を押さえてくれました。

甥は、病院に電話をして状況を話し、どうすればよいかを聞いてくれました。

顔を下向きにして、
10分くらい鼻を指で強く押して様子を見てくださいとのことでした。

やがて一旦血は止りました。

そこで、儀姉たちは帰りました。

ところが、それから程なくしてまた出てきたのです。

姉から様子を気遣う電話がかかってきたので、
また出ていることを伝え病院に連れて行ってもらったのです。


病院で血圧を測ったら、上が184、下が114でした。
私はビックリしました。
通常私は上が140、下が90だったからです。

そして、熱が38度もありました。
これにもビックリしました。
熱のことを全く気にも留めていなかったのです。


医者さんは、「いまは応急的な処置しかできません」といって
両方の鼻に何かを押し込み、鼻をふさぎました。

そして、「耳鼻科でないと止血できません。血の出ているところを焼くんです。
明日、耳鼻科に行ってください」といわれ、それで処置が終わりました。

儀姉は、「血圧が高いのに、薬も何もないの?」と私に聞いてきました。
「何もなかったよ」と私。

「先生に聞いてくるから。あなたは車に乗って待ってて」といって
お医者さんに聞きに行きました。


戻ってきた儀姉が言うには、
「先生は、痺れとかろれつがまわらないとかといったこともないので、
いまの状態で脳の写真を撮っても何も出ないだろう。
 また、急に血圧を下げるのも危険なので、まずは止血することですといっていていたよ」と


家に帰ってからも、左の方から血が少し出ていました。

ベットで横になったのですがなかなか寝付けず、
結局一睡もできずに夜を明かしました。

そして、いの一番で耳鼻科に行きました。


夕べは、儀姉と甥に大変お世話をかけてしました。

鼻血が出るという経験は初めてのことでした。
しかも、ボタ、ボタと滴り落ちてくるのです。


今日は、仕事を一日休ませていただきました。


最近服用している薬のなかに、
「イコサペント酸エチル粒状カプセル600mg「TC」」というのがあります。
血栓(血の固まり)ができるのを抑える働きがあるそうです。
救急のお医者さんは、血が止らないのはこの薬が関わっているかもしれないと
いっていました。

鼻血が出てから、気になってこの薬の服用を止めていました。



食生活を改善すること、
適度の運動によって体重を減らすこと、
これを真剣に考え、取り組んで行こうと思います。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
あらためて健康であることの有難さを感じています。
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タグ:鼻血 耳鼻科
2011.06.08

妻を中国に帰す直前のドラマ



妻は、3月2日に日本に戻り
3月20日に中国へ帰りました。

再入国の期限が迫っていたことから
期限の更新手続きをするために帰ってきたのです。

そのため、今回は初めから2,3週間の滞在の予定だったのです。
飛行機のチケットもそれに合わせて取ってきました。


この滞在中に11日の大津波にあってしまいました。

私は、この津波によって妻を期限内に中国へ帰せるだろうかと
内心不安が大きくなっていました。

津波によって交通網が寸断され、
新潟空港までどうやって送れるだろうか。
手元に現金はあまりなく、
あてにしていた給料も津波によって支払いがストップしていたのです。

固定電話はもちろんのこと携帯電話もつかえない。
停電でテレビも見れないといったことから外からの情報が途絶えていました。

17日になって携帯電話が少しはつながるようになりました。

17日の夕方、妻が東京の弟のところに電話をしました。
そのとき、中国の両親が福島の原発のこともあってとても心配をしている。
大勢の中国人が日本から帰ってきている。
いまなら中国大使館で飛行場まで無料のバスをだして、
優先的に飛行機に乗れるようにしている。
それなのになぜ帰らないのかといっているというのです。

しかし、そうした情報が私たちのところへはまったく入っていなかったのです。
(妻が帰った後になってわかったのですが、中国大使館となったバスが数台大船渡に
来ていたのだそうです。)

無料バスのことや優先的に飛行機に乗れるということをどこから
聞いたらいいのだろうと思いました。


私は、中国大使館に聞いたらいいのではといったものの
電話番号がわかりませんでした。
インターネットも使えず調べる方法がなかったのです。

そんなときに、このブログを通して知り合った「ハルピン家庭料理店」の
ブログオーナーのことが思い浮かび電話をしました。

オーナーの奥さんが領事館に電話をしてくれて、
領事館から妻のところに折り返し電話があるからということでした。

そして、領事館から電話がかかってきました。
担当の方がいうには、「明日の12時に盛岡駅西口に来てください。
そこからバスが出ますから。これが最後のバスになります」とのこと。

『明日!? 車で送りたくとも盛岡まで行くガソリンがない。
盛岡までのバスも走っていない。一体どうやって盛岡まで送り届けることができるだろうか』
と無理な事のように思えました。

でも、『大使館で出すバスは明日が最後というから
なんとしても盛岡へ行かせなくては・・・・どうすればいいんだ』と考えました。

実は、この日のお昼過ぎに
友人がガソリンを10ℓ持ってきてくれたのです。

車には10ℓのガソリンは入っている。

水沢に嫁いできている妻の友人に電話をしてみたはと妻にいいました。
電話をしたら、「明日娘を盛岡に連れて行くよ」ということだったので
それに一緒に乗せて欲しいとお願いをしました。

友人は、快く引き受けてくれました。

ただ、水沢まで送っていくにもガソリンが足りない。

「とても申し訳ないけれど、途中まで迎えに来てもらえませんか」
とさらなるお願いをしたところ、これも快諾してくれました。

こうして、急遽妻は中国へ帰ることになり
支度をして夜7時に家を出ました。

住田高校前で合流し、友人夫婦の車に乗り換えさせて
妻と別れました。


妻は、新潟について三日後の飛行機で中国に帰りました。

慌ただしい別れでした。
妻と別れて家に戻ってみると、
そこにはついさっきまで妻がいた痕跡が残っていました。


とても淋しかったです。
でも、無事に帰すことが出来てとても安堵しました。

弟に電話してから、わずか2時間あまりで中国に返れる手はずが出来のは
奇跡だと思っています。

でも、それはいろいろな人の助けがあったからこそ出来たのです。
本当に感謝です。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
みなさんが幸せでありますように。
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